「○○の方法」に感じるディストピアみ

こんにちは Kayです🌛



表題がなんのこっちゃですが。


先日本を片付けておりました時の記事で、ネット検索という文明の利器についてちょっとだけ言及しました。


知りたいことは即検索、誰かが出した結論を自分の結論に、誰かの正解を自分の正解とすることが容易いからだろうと思います。


一番わかりやすいのは「○○の10の方法」のようなhow toやtipsでしょうか。で、試しにググってみました。


心臓発作にならないための10の方法
一流の人がやる気を高める10の方法
やる気を高める10の方法
わかりやすく話す10の方法
他人とうまく会話する10の方法
ストレスを溜めない10の上手な方法
子どもを優秀なリーダーにする10の方法 


みんな大丈夫…?(´・ω・`)


 
疲れてるなぁと思いました。
いや、こういう商売しておいて何なのですけれどね。


さて、どうでしょう。
この子供を優秀なリーダーにする10の方法を皆が実践したらどうなるだろうと考えましたが、これはきっとこのtipsのセオリーが及ぶ範囲で平均化され、その中でも何かを持っている子が突出するのだろうと考えました。解釈によっては人材の底上げになるのかもしれませんが…


個人的に一番気になりましたのは会話に関する10の方法です。セオリーに沿って会話をすればストレスから解放されるし、揉め事やすれ違いもおこらないし、人や自分が不快になることもないし…ということですよね。


これをインプットしてる人が自分の周りに何人もいたと想像して。


怖いなと思いました。
私は誰と何のために話すのか。
あなたは誰なんですか?と。


と書いております私は、テキストですと饒舌ですがどうも昔から会話は瞬発力が要されるからか不得手です。「あの時あんなこと言わなければよかった」「心と口が一致していない」そんな反省はしょっちゅうあります。同時に人が話しているのを聞いて「ああ、こういう時はこういう言い回しのほうが好ましいな」と勉強になることもとても多いです。


このように、会話は生ものだと思うのです。その人が普段接している人や物事、それまで培ってきた経験、そういったものが良くも悪くも反映されます。


その悲喜こもごもの経験を丸っと受容することが
自分を受け止めることではないのでしょうか?
自分という軸で生きるということではないのでしょうか?
他者を尊重することにも繋がりませんか?


みんなセオリー通りに当たり障り無く無難に話して接してストレスフリーで幸せうふふあはは…って均質化されたコミュニケーションにはディストピアみしか感じません。少なくとも私は。


それに、そのセオリーから外れた時に物凄く弱いと思うのです。よく現代っ子はマニュアル人間で臨機応変な対応が出来ないと言われますが、こういうところに繋がるのではないかと思います。


とはいえ、誰かがより良いものを求め続ける性質を持つ以上、そして毎年出版される多くの自己啓発書をみながら、こうした潮流が止まることは無いのだろうなと感じます。


その中に自分もいるという自戒を込めながら。


私は創造的な人生というものを推します。たとえtipsやhow toなどを利用するとしても、どんな時にも考えて行動することをやめず、選択に意志を持ち続け、この身体でそれを顕し続ける。それが人で在ること、そして醍醐味なのではないかな…と感じます✨


ちょっと毛色の違う記事になりました。



Don't find yourself.
Create yourself.
Love yourself!


With love,
Lunar Phase Kay🌛

Lunar Phase

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